The EDO Times

江戸時代の出来事

宝暦八年(西暦1758-1759年)

この年の出来事

幕府、信濃飯田藩に駿府城加番の公役を命ずる

 (柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

陸奥津軽藩勘定奉行乳井市郎左衛門、失脚

 陸奥津軽藩勘定奉行乳井市郎左衛門が失脚。宝暦三年より藩財政の立て直しに取り組み、強硬策により一時は効果を上げたが、宝暦五年の大凶作の影響もあり再び財政が悪化していた。(柏書房「江戸時代265年ニュース事典」) 

一月(1758/2/8-)

江戸中村座時津風入船曾我」

 江戸中村座時津風入船曾我」で二代目瀬川菊之丞が油屋お染を演じ大人気となる。同興行は五月までのロングランとなる。(柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

二月(1758/3/10-)

三月(1758/4/8-)

江戸霊岸島から出火

 江戸霊岸島から出火し大川端まで延焼する。(柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

三月五日

幕府、越後阿賀野川開削のために代官に視察を指示

 (柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

三月十六日

出羽庄内藩、本間光丘に防砂林への植林を許可

 出羽庄内藩、酒田の湊の機能を保全するために必要な防砂林への植林事業を豪商本間光丘に許可。(柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

四月(1758/5/7-)

江戸神田で第二回物産会開催

 田村藍水ら、昨年に続いて第二回の物産会を江戸神田で開催。(柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

四月二日

美濃郡上藩の農民、江戸の目安箱への箱訴を決行

 (柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

五月(1758/6/6-)

五月一日

豊前小倉藩、思永斎を創設

 豊前小倉藩、思永斎を創設。のちの藩校思永館。(柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

六月(1758/7/5-)

松江藩、藩校文明館を創設

 (柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

七月(1758/8/4-)

七月二十一日

幕府、美濃郡上一揆についての裁判を開始

 (柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

七月二十三日

竹内式部、幕府により束縛(宝暦事件

 (柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

七月二十四日

正親町三条公積ら公家衆十七人、竹内式部連座し処罰

 (柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

八月(1758/9/2-)

九月(1758/10/2-)

九月三日

田沼意次、加増により大名に列せられる

 田沼意次、加増により大名に列せられる。これにより評定所への出座を許可される。(柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

九月二十四日

二代目市川團十郎死去

 (柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

十月(1758/11/1-)

二代目瀬川菊之丞、立女形となる

 江戸中村座の人気役者二代目瀬川菊之丞女形トップである立女形となり人気が絶頂に達する。(柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

十月二十九日

幕府、美濃郡上一揆について老中以下の役人への判決を下す

 (柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

十一月(1758/12/1-)

十一月十九日

田沼意次遠江相良藩主となる

 (柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

十二月(1758/12/30-)

大坂道頓堀の芝居小屋角の芝居「三十石舟登」で回り舞台が登場

 上方の劇作家で舞台装置の変革にも功績を残した並木正三が、大坂道頓堀の芝居小屋角の芝居「三十石舟登」で回り舞台を登場させ評判となる。(柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

十二月二日

幕府、将軍徳川家重の次男徳川重好江戸城内清水門内に宅地を与え清水家を創設

 (柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

十二月十二日

対馬藩、七年の鋳銭を幕府に出願するが不許可となる

 対馬藩、朝鮮貿易不振のため七年の鋳銭を幕府に出願するが不許可となる。(柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

十二月二十二日

幕府、翌年からの河川国役普請制の再実施を通達

 (柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)

十二月二十五日

馬場文耕、美濃郡上一揆を題材にした「平仮名森の雫」により獄門に処される

 伊予の下級幕臣出身で江戸日本橋松島町の講釈師馬場文耕、郡上一揆を題材にした「平仮名森の雫」を問題視され打ち首獄門となる。(柏書房「江戸時代265年ニュース事典」)